吉本ひかる、不屈のゴルフでつかんだ7年目の初V
ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。
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同期は強豪そろい 順調にプロ合格
滋賀県北西部の高島市は琵琶湖に面している。ここは北陸道の要衝で、日本書紀のころから栄えてきた。面積は琵琶湖より広く、湖岸の平地、山地の森林、清らかで豊かな水を有する恵まれた土地柄である。ここで育った吉本ひかるも、豊かなゴルフの才に恵まれていた。9歳からゴルフを始め、中学時には米国での『世界ジュニアゴルフ選手権』に2年続けて(12、13年)出場。
13年にはJLPGAツアー初出場も記録(『フジサンケイレディス』予選落ち)した。高校3年のときには、ステップアップツアー『ルートインカップ上田丸子グランヴィリオレディース』(16年6月)に出場。史上4人目のアマ優勝をしている。首位から2打差、3位でスタートした最終ラウンド。前半2バーディ、1ボギーでトップに立つと、バックナインは4バーディ、2ボギー。
プロ顔負けの6バーディで勝っている。その翌週。今度はアマのビッグタイトル『日本女子アマ』の優勝にも王手をかけた。第3ラウンドを終えて2打差の単独首位に立ったのだ。だが最終ラウンドは75で4打差3位タイに終わった。勝ったのは高橋彩華。2位は畑岡奈紗。いずれも同学年の強敵だった。1998年度生まれの同期生=黄金世代の戦いは始まっていたのである。
この世代のトップランナーは、高校1年で『KKT杯バンテリンレディス』に優勝した勝みなみ。吉本より先にステップでアマ優勝した新垣比菜もいた。また畑岡はこの年の『日本女子オープン』でアマ優勝の快挙を成し遂げた。そうしたライバルたちの存在を口にして「尊敬しています。でも負けたくない」と吉本はいっていた。それだけの実績も持っていた。プロでの歩み出しも順調だった。
テストは17年に7位で1発合格。直後の『北海道 meijiカップ』では通算4アンダーで7位タイ。いきなりベストテンに入った。「プロデビュー戦とは思えない堂々のゴルフ。プロ意識も高い。152センチと小柄だが、大きなことをやってくれそうだ」と日本女子プロゴルフ協会の公式ニュースでも取り上げられた。またステップアップツアーでは10月の『日台交流うどん県レディース』で優勝。
通算8アンダー、2位3打差の堂々の勝利だった。「去年からトレーニングを積んで、連戦しても崩れなくなった。また先週のレギュラーツアーでパッティングのクセに気付いて、しっかり修正できました」前途洋々を思わせた。
最終日最終組 期待は高まったが
だが翌18年は振るわなかった。19試合で予選通過6回。ベストテンは1度だけで賞金ランク99位に終わった。そこから這い上がったのが19年。
前年末のQT21位で出場資格をつかむと、シーズン36試合に出場。4月2週には『スタジオアリス女子オープン』で初めて最終日最終組を経験した。1打差2位タイからスタートして6位タイだった。翌週の『KKT杯バンテリンレディス』最終日は3打差、7位タイで最終組より2組前でスタート。5バーディ、1ボギーの4アンダーで1打差の単独2位まで順位を上げた。
その次の『フジサンケイレディス』は初優勝の大チャンスになった。2打差の単独トップで2度目の最終日最終組をプレーしたのだ。だが3バーディ、4ボギーの1オーバー。63を叩き出した申ジエに逆転された。それでも2週続けての2位で、翌年のシード権はいち早く確定させた。あとは優勝だけ。それに近づいたのが9月のメジャー『日本女子プロ』だった。第3ラウンドを終わって2打差の単独2位。
首位・畑岡との最終日最終組は『3度目の正直』が期待された。だが前半9ホールはバーディなしの4オーバー。後半も4オーバーで23位タイ。初めて体験した大崩れになった。この年は4359万円あまりで賞金ランク28位。上位30人に食い込んだ。翌年こそは優勝を……と思われたが、次のシーズンは、大きな波に揺さぶられた。コロナ禍で前半が中止。次の年と合わせた「20―21年シーズン」となった。
2011年月の『伊藤園レディス』は第2ラウンドを終えて通算10アンダーまで伸ばし、首位タイ。翌日は4度目の最終日最終組だったが、前半も後半も1バーディ、2ボギー。2オーバー、74で8位タイに終わった。この年は他に目立つ成績はなく、ほぼ半分の試合は予選落ちしてしまった。ようやく調子が上がったのは21年だ。3月末から6月2週までは12試合連続で予選通過。
その間に2度の6位(タイを含む)を記録した。この2試合はいずれも4日間大会。メジャーの『ワールドレディス』も13位タイで、4ラウンド制の試合の成績がよかった。プレーの安定度が高まった証拠だと思えた。だが、直後から暗転が始まった。その後は21試合で予選落ち12回、棄権1回。予選通過の8試合も51位が最高で多くは60位台。最下位が近い極端なスランプになった。
その結果、最終的な賞金ランクは62位。再びシード権を失った。不調の一因といわれたのがドライバーのスランプ。「曲がるし、190ヤードくらいしか飛ばないときも……」(吉本)ショットメーカーの強みが発揮できない状態に落ち込んでいたようだった。ただ、それでもQTでは38位に入り、翌年もツアーで戦う手掛かりは得た。22年も出だしは苦しかった。開幕から10試合で予選落ち8回。
予選通過が増え始めたのは6月からで、8月には大きなチャンスをつかんだ。2週の『NEC軽井沢72』。第2ラウンドを終えて首位タイに立ったのだ。最終日最終組は5度目。すでに同世代は次々に初優勝を飾り、その数は11人になっていた。それでも「自分がどういうプレーができるかが楽しみ。精いっぱいプレーします」とひたむきに語った。くじけては、いなかったのだ。
だが、ゴルフの女神はまた微笑まなかった。最終ラウンドは前半3バーディ、1ボギー。だが後半に入るとバーディが獲れなくなった。9ホールすべてパー。スコアを伸ばせず1打差で敗れた。勝ったのは20歳になったばかりの岩井千怜。ルーキーが初の最終組で栄冠をつかんだ。それでも吉本は前向きな姿勢を崩さなかった。
「以前の優勝争いは、とにかく必死。今回は頑張りすぎず、力が入らず、自然体でできました。去年の不振を考えたら、ここまでこられるとは考えられなかった。やり切ったと思います」だがこの後はベストテンには入れなくなった。年間ランキング68位でシード復活もならなかった。それでもまたQT28位で23年の出場権はつかんだ。
初優勝へつながったタフな不屈の精神
QTからの戦いは苦しい。早くポイントを積みあげないと、リランキングで出場権を失う。焦って戦うことで、心身ともに疲れてしまう。そういう戦いを繰り返すには、本当の意味でのタフさが必要になる。吉本はタフだった。それが23年の初優勝につながった。開幕2戦目の『明治安田生命レディスヨコハマタイヤゴルフトーナメント』で勝ったのだ。
第1ラウンドは4バーディ、1ボギーの69。14位タイだった。第2ラウンドは6バーディ、ノーボギー。首位タイに躍進した。「オフのトレーニングで体の軸をしっかり作ったことでショットがすごく安定しています」ショットメーカーが自信を取り戻していた。第3ラウンドはさらに伸ばした。7バーディ、ノーボギー。通算16アンダーで2打差の単独首位に立った。
「打ちたいところへ打ち出すことを意識して、リズムよく振ることを考えました」。迎えた最終ラウンド。6度目の最終日最終組でスタートした吉本は、前半でバーディが獲れずに1オーバー。この前半9ホールは、過去3日は全部2アンダー。肝心なこの日は1オーバーでバーディなし。首位の座も2位スタートのささきしょうこ(ツアー3勝)に明け渡した。悪い記憶が蘇る。
そんな展開になった。最終日最終組で勝てなかった5回のうち4回は前半をオーバーパーにしていた(別表参照)。そうなると後半も巻き返せず18ホールもオーバーパーになった。最終ラウンドだけは60台が出ないのだ。原因はバーディの少なさだ。最終日最終組の吉本はバーディ数が減る。多くて3つ。0もある。唯一前半を2アンダーで回った『NEC軽井沢72』も、後半はバーディなし。
優勝を争う上位選手の最終ラウンドは、バーディ数が減る傾向がある。それでも勝つ選手はスコアを伸ばす。吉本の初優勝にも、バーディが必要だったが、この日も前半はバーディが獲れずに終わった。5度あったことが6度目も起きるのか、と思われた。だが、吉本は変わっていた。最終ラウンドの目標を「勝つこと」より「60台」に絞っていたのだ。
「(このコースは)後半のほうがバーディのチャンスがある。60台に向かって、最後まであきらめずにプレーしよう」順位を考えるより自分のプレーに専念したのである。するとこれまでとは違うプレーができた。バックナインでバーディを量産したのだ。11番パー4、13番パー4、15番パー5とバーディを重ねて首位タイに並んだ。続く16番も1メートルを沈める。
4つ目のバーディで単独首位に立った。後半4アンダー。18ホールは69で回り、目標の「60台」をクリアしたのだ。対するささきも17番パー3のバーディで首位に並び、戦いはプレーオフへ進んだ。その2ホール目。吉本は9メートルほどの長いバーディパットをカップに沈めた。ささきも素晴らしいバーディパットを打ったが、惜しくも入らなかった。
最終日最終組で初めて60台を出した吉本は、初めてのプレーオフで、初めての優勝を勝ち獲ったのである。勝負に負けはつきもの。優勝を争う選手が3人なら、2人は負ける。敗れるほうが多いのである。負けても前進するには、不屈の精神が必要になる。勝てなくても、同期生に遅れをとっても、苦しいQTを繰り返しても、前に進み続ける。そんな不屈の強さが、小さな吉本の最大の武器だ。それを失わずに、さらに強くなっていくことを期待したい。
いかがでしたか? 吉本さんのこれからの活躍を見守っていきましょう!
吉本ひかる@2023年明治安田生命レディス ヨコハマタイヤゴルフトーナメント
文=角田陽一
写真=Getty Images
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