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ゴルフの“名勝負”紹介!松山英樹、2021年マスターズ・トーナメント

ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。

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震災の翌月にマスターズ初出場

「日本選手は永遠に『マスターズ』で勝てないのではないか」長い間、そう思われてきた。広い意味では「日本の男子ゴルフは世界のメジャー大会で勝てない?」になる。『マスターズ・トーナメント』(以下『マスターズ』)は、そのメジャーを象徴する大会なのだ。美しいコースとドラマチックプレー。

テレビ中継が映える『マスターズ』は日本のファンには一番身近で『勝ってほしい』メジャーなのである。日本の女子は1977年に樋口久子がメジャーの『全米女子プロ』に勝っていた。男子もすぐに続くと思えた。

80年『全米オープン』で青木功がジャック・ニクラスと最終ホールまで優勝を争った(2打差2位)からだ。だが壁は高かった。それから40年が過ぎても優勝には届かなかったのである。そんな歴史を松山英樹が変えた。それも『マスターズ』で優勝したのである。

松山英樹は1992年2月。愛媛県松山市に生まれた。08年『全国高等学校ゴルフ選手権』個人優勝。09年は『日本ジュニア』優勝。東北福祉大に進んだ10年は『第2回アジアアマチュア選手権』に勝った。この勝利で翌年の『マスターズ』への出場権を得たのである。

11年。3月に「東日本大震災」が東北地方に惨禍をもたらした。松山は翌月の『マスターズ』出場を迷ったが、地元の声に後押しされて出場。すると19歳で日本選手最年少予選通過を果たす。さらに4ラウンド通算1アンダー。27位タイでローアマも獲得した。

この後、13年以外は毎年『マスターズ』に出続けた。21年は10度目の挑戦になった。21年『マスターズ』の第1ラウンド。松山は2バーディ、1ボギー、1イーグル。3アンダー69で2位タイ。自身最高のスタートを切った。「3パットした17番以外はいいプレーができたと思う」と『マスターズ』挑戦10年目らしい落ち着きも感じさせた第2ラウンドは2バーディ、3ボギー、1イーグル。

1アンダー71、通算4アンダーで6位タイで予選を軽々と通過した。「最終日に良い位置で回れるように、明日(第3ラウンド)はがんばりたい」と、この日も落ち着いて話した。それもそのはず。過去9回で予選落ちは一度(14年。出場3度目)だけ。アマ時代の2回も予選落ちはしていなかったからだ。これはすごい記録である。

日本選手初の『マスターズ』挑戦は1936年(昭和11年)の第3回大会だった。陳清水(20位タイ)、戸田藤一郎(29位タイ)が出場した。それから2020年までの85年で日本選手の出場は延べ132回(以下日本選手の成績は筆者調べ。表1参照)。予選落ちは61回で、予選落ち制度がなかった戦前を覗いた130回の予選落ち確率は46.92パーセント、ほぼ半分だ。

この数字は、日本選手全体に共通している。『マスターズ』に出場した日本選手は32人(20年まで)で、5回以上出た選手は9人いる。最多は19回の尾崎将司(予選落ち9回)。2番目は青木の14回(同7回)。3番目の中嶋常幸は12回(同6回)。AONの3人も半分は予選落ちしてきた。

ちなみに9人のうち、予選落ちゼロは6回出場の陳清波だけだ。これを知ると、松山の予選落ち1回の価値がわかる。実力の高さとオーガスタCCとの相性の良さがうかがえる。それが第3ラウンドに出た。

中断後に見せた快進撃で首位に

第3ラウンド。松山は宣言通りにがんばった。フロントナインは1バーディのみ。伸ばせない中で迎えたバックナインの2ホール目。アーメンコーナー入り口の11番パー4の1打目が右に曲がった。その直後に雷雲接近のため80分近くも中断された。嫌な流れが危惧される中で放たれた再開後の第2打。

これがピン5メートルにつけるスーパーショットになった。1パットでバーディを獲ると、12番パー3も3メートルを入れて連続バーディ。15番パー5は5番アイアンで2オン。2メートルを1パットで、3日連続のイーグルも獲った。さらに16、17番もバーディ。

この日は5バーディ、ノーボギー、1イーグルの7アンダー65。通算11アンダーまで伸ばし、単独首位に立ったのだ。しかも、2位と4打差がついていた。「あまり怒らずにプレーできた。最終日はそういうことが大事になると思う」アーメンコーナーでの中断後の猛チャージ。それは怒らなかったことへの、オーガスタの魔女のご褒美だったのかもしれない。

10代で『マスターズ』デビューした松山は、プロになり日本ツアーで賞金王を獲ってから米ツアー挑戦を始めた。米初優勝は14年。20年までに5勝を重ね、メジャー大会にも数多く出場した。『マスターズ』では15年5位、16年7位タイと2年連続ベストテン。

それまでの日本選手のベストテンは4回だけ。73年尾崎(8位タイ)、86年の中嶋(8位タイ)。01年井澤利光(4位タイ)、09年片山晋呉(4位)である。ベストテン2度は松山だけだ。また松山は『全米オープン』(17年2位タイ)、『全米プロ』(16年4位タイ)、『全英オープン』(13年6位タイ)などのベストテンを記録。

メジャー4大会で10位以内を記録した。いつメジャーに勝っても不思議はない。そういう実績を積んできていたのだ。その最大のチャンスが21年の『マスターズ』で巡ってきたのである。最終ラウンド。松山は1番ティでこう決意していた。「最終組でトップだと考えたらすごくナーバスになってきた。でも最後の18ホールをやりとげよう、よいプレーをしよう」

1番はボギーにしたが、2番はバーディ。すぐに取り返した。8、9番も連続バーディ。フロントナインで2打伸ばしたが、バックナインで波乱が起きた。12番ボギー、13番バーディ、14番パー。通算13アンダーで迎えた15番だった。

この時点の2位は松山とほぼ同世代(93年生まれ)のザンダー・シャウフェレ(米国)。当時世界ランク6位で、最終日最終組で松山とプレーしていた。残り4ホールで差は4打。普通なら確実に勝てる展開だったが『マスターズ』は普通ではなかった。松山の15番パー5は前日にイーグルを獲っている。

この日もフェアウェイから2オンを狙って第2打を打った。236ヤード。4アイアン。フルスイングの打球は、あろうことかグリーンをオーバー。勢いよく転がって16番の池に入った。「4打差だけどザンダーは3連続バーディで勢いに乗っていた。確実にバーディを獲るつもりで2オンを狙わないと追いつかれる」。

そう思った1打が、飛びすぎたのだ。1ペナ後の4打目はグリーン奥からのアプローチ。反対側の池ポチャを避けてグリーン手前のカラーに止めた。そこからパターで寄せて1パット。ボギーで通算12アンダーになった。

シャウフェレの2打目は200ヤード。右バンカーに入れたが、次でピタリと寄せた。4連続バーディで10アンダー。2打差になり、盤石と思えた優勝の行方がわからなくなった。

大量リードから接戦に。そして

16番パー3は池がある。池ポチャすれば追いつかれそうな展開になった。前のホールで攻めに出て池ポチャした結果の試練が巡ってきた。だがシャウフェレも、オーガスタの魔女に試されていた。ティショットはグリーン左に立つピン方向に飛んだが、かなり手前に落ちて池に入ったのだ。その後もリカバリーに苦しみ、トリプルボギーの6を叩いた。

「ザンダーが池に落としたので右に打った」という松山も、3パットのボギーで通算11アンダーになったが、2人の差はまた4打に広がった。このあと、2位に浮上したのはウィル・ザラトリス(米国)。17番パー4のバーディで通算9アンダーに伸ばしてきた。

17番パーの松山は、2打差で迎えた18番で、ドライバーショットをフェアウェイに放った。2打目は134ヤード。ピッチングウエッジの1打はグリーン右のバンカーに。そこから1メートル半に寄せ、2パットで4ラウンドを終えた。最後はボギー。この18ホールは73。1オーバーながらそれでも優勝をつかんだ。

「日本人はメジャーに勝てないんじゃないか、という考え方を覆せたと思う」宵闇迫る表彰式で、黄昏色の空気にひときわ生えるグリーンジャケット。初めて軸を通した松山は、すべてのプレッシャーから解放された満面の笑顔で、両手を高々と掲げた。歴史は作られたのだ。

松山の最終ラウンドは、『マスターズ』の常識とは異なる展開になった。表2は過去10年の優勝者と21年松山の最終日のホール・バイ・ホールだ。「本当のマスターズは、サンデー・バックナインから始まる」といわれてきた。最後の9ホールが勝者を決める、の意味である。

実際に20年までの10回の優勝の全員がバックナインをパープレー以内で回っている。そのうち9回はアンダーバー。平均スコアは34。2アンダーである。松山の最後の9ホールは39、3オーバーだった。目立つのは15、16番のボギーだ。前年までの10回の優勝者は13番から17番までは、ボギーを打っていないのである。

それでも勝てたのは異例だった。前日までのリードと2アンダーのフロントナインの貯金が大きかった。もう一つ、意外な事実がわかった。『マスターズ』の華はパー5のイーグル劇だ。イーグルを奪って派手に勝つ、というイメージがあるが、表2の11回の優勝劇でイーグルは2回だけだ。それもパー5では1回(もう1回はパー4)のみ。

それだけ最終ラウンドのV戦線では、イーグルは難しいのである。その難しさが松山を追う選手たちにも作用して、差を詰められなかった、といえるだろう。とても厳しいラウンドだったともいえる。メジャー優勝の大きな壁。それを越えたときから2年。今年の松山は『マスターズ』でどんなプレーを見せるのか。そろそろ2度目のメジャーVを期待したい。

いかがでしたか? 松山プロの活躍に、まだまだ目が離せません!

文=角田陽一

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