山下美夢有が達成した「3つの60台」とは?語り継がれるべき名勝負

ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。

【関連記事】飛び系アイアンを使いこなすコツ!「番手間の飛距離の差は…」と石井良介プロが解説

ノーボギーからバーディ狙いへ

2021年7月、山下美夢有は「86ホール連続ノーボギー」の新記録を作った。4ラウンド+5ラウンド目の14番ホールまで「ボギーなし」を続けたのだ。週イチのゴルフなら1ヶ月間以上ノーボギーという凄い記録である。この記録に必要なのはこんな要素だ。

●ショットが極めて正確でリカバリー不能なミスがない

●アプローチ、パットが巧みでパーセーブを逃さない

●コース・マネージメント力が高く、的確に攻められる

「スイングが華麗」「飛ばせる」という派手さはないから、連続ノーボギー記録は注目されにくい。記録達成時にも優勝争いに絡んでいなかったから、さほど騒がれなかった。

ゴルフエリートとしてそれほど注目されていなかった山下は、プロ入り後に力を伸ばし、抜群の上手さを発揮できるようになっていった。それが「連続ノーボギー」記録を生んだのだが、また21年の時点では飛び抜けた強さはなかったのである。

変化の兆しが表われたのは22年5月。第1週の『ワールドレディス』で最初から最後まで首位を守り続けた完全優勝(通算2勝目)を飾ったのだ(先月号で既報)。シーズン前半で初のメジャータイトルを獲得。その盤石の勝ち方は「強い山下」誕生のノロシだった。

そのときのツアーの主役は西郷真央だった。山下と同学年でプロ合格も同期。日本女子アマに勝っていた西郷は期待されるエリートといえた。前シーズンは2位(タイ含む)7回ながら未勝利。そのうっ憤を晴らすように22年は開幕から10試合で4勝した。この年から賞金獲得額に代わる女王の勲章になった「メルセデス・ランキング」でトップを独走していた。実力派の西村優菜、ベテラン上田桃子、堀琴音、前年賞金女王の稲見萌寧らが西郷を追っていた。山下は9位に上がったばかりだったが、すぐに順位を上げていった。

シーズン2勝目は『ワールドレディス』の一カ月後。『宮里藍サントリーレディス』だった。

最終ラウンドは首位の藤田幸希と4打差の4位からスタート。難コースだけに「なるべくボギーを打たない」を心掛けたが、最終ラウンドはこう変わっていた。

「追う立場なのでたくさんバーディを獲りたい」

すると前半は2バーディ、ノーボギー。後半も10、14番でバーディを奪って首位の藤田を捉えた。藤田も10番までに2打伸ばしたが、11、13、14番とボギーを続けてトップを山下に明け渡した。それでも17番パー5のバーディで山下に追いついてきた。

勝負を分けたのは18番パー4。左に大きな池が待つ難しいパー4。山下は右ラフからの2打目がグリーン右ラフ。3打目は左サイドのピンへの長い下りのアプローチが残った。それをカップぴったりに寄せてパーをセーブした。「ミス・ノーボギー」の真骨頂を発揮したのだ。

藤田はフェアウェイからの絶好の2打目を左に曲げ、池の縁の岩で跳ねた打球が右のバンカーまで飛び、ボギーにする。1打差の2位と敗れたのである。

「風が強くピン位置が難しい。ショットもいいとはいえなかった。それでもノーボギーがすごくうれしい」(山下)

この後から、成績が飛躍的によくなった。

6月3週から8月末までは、7試合すべてで5位以内。優勝した『サントリーレディス』からは8試合連続になる。

9月に入っても7位タイ、2位、6位タイと続き、連続トップ10は11試合に伸びた。

勝てないほうが不思議だったが、次の『ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン』ではシーズン3勝目を際立つ強さでモノにした。

30・30=60のツアー新記録

『ミヤギテレビ杯』第1ラウンド(9月23日)。山下は「60」という18ホール・パー72のツアー新記録を出した。2番で初バーディを獲ると、4番からは3連続。8、9番も獲って前半は6アンダー、30。後半も11番から4連続、17、18番の連続バーディで上がって後半も30。トータル12アンダーをマークしたのだ。

それまでの記録は61(キム・ヒョージュ、稲見萌寧が記録)。最終18番ホールで6メートルのバーディパットを沈めての新記録だった。

「自己ベスト64の更新はわかっていましたが、新記録はホールアウト後に知りました」

もちろん単独首位。2位とは7打差だった。

第2ラウンドもノーボギー、5バーディの 。2位とは8打差となった。

最終の第3ラウンドは71。2つのバーディと、大会唯一のボギーが1つ。60台も逃したが、それでも5打差で悠々と勝ち切った。

興味深かったのは、山下のこんな自己評価だ。

「第1ラウンドと第2ラウンドは100点。最終日はなかなかスコアを伸ばせなかったけど、それが最終日の難しさなので、それでも攻めのスタイルを貫けたから、やっぱり100点です」

大量リードでスタートしても、楽に勝てるとは限らない。その事実を知っているようなコメントだった。

似たケースがある。日本の男子ツアーで初めて50台(「59」。12アンダー)を出したのは03年『アコムインターナショナル』第1ラウンドの倉本昌弘だった。2位とは5打差だったが、第4ラウンドを終えると尾崎将司、宮本勝昌に追いつかれ、プレーオフで勝った。最終スコアは13アンダー。第2ラウンドから1打しか伸ばせなかったのだ。それでも勝てたことに大きな価値があった。

山下も同じ。初日に新記録を出して勝ち切ったのは強さの証明になった。当人が70台の第3ラウンドにも100点をつけたのは、優れた自己評価といっていい。正確に自分を評価できることは、強くなる人の条件でもある。

山下は翌週も3位タイで連続トップ10記録を13試合まで伸ばした。メルセデス・ランキングでも8月末にトップに浮上。シーズン前半で5勝し、トップを固守してきた西郷を抜いたのである。

そしてその初代女王の座を11月2週の『伊藤園レディス』で決めてしまった。

第1ラウンドは得意のノーボギーで6アンダー。1打差で単独首位に立つ。

第2ラウンドも14番までに6バーディ。16番でこの大会唯一のボギーを叩くが、5アンダーで上がった。首位はこの日64の上田桃子に譲り、2打差の単独2位だった。

最終ラウンドは曇天強風になり、なかなかバーディが獲れなくなっていた。

上田も山下も11番まではすべてパー。12番の上田のボギーで差が1打に縮まり、15番で山下が初バーディを奪う。ここでは3打差3位からスタートした岸部桃子もバーディを獲り、3人が首位に並んだ。

続く16番で上田がダボ、17番で岸部がボギーを叩いて首位から脱落した。山下は18番で3メートルのパーパットを決め、1打差でシーズン4勝目を挙げた。

同時にランキング2位の西郷との差が開き、山下の初代女王が決まったのである。

こうしてシーズンは残り2試合になったが、山下はまだ休めなかった。

「平均ストローク60台」という大目標が浮上したからだ。

3つの60を見事に達成

最終戦の『JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ』。試合前日に山下は「最後に(年間平均ストロークを) 台へもっていきたい」といった。

大きな目標は内に秘めてきた山下が、堂々と宣言するようになっていたのだ。

これまで日本女子の記録は19年に申ジエが作った69・9399。これが唯一の 台だった。その更新は不可能だが日本人選手としては初めての60台は可能だった。

必要なのは4ラウンド通算12アンダー。過去3大会の優勝スコアは11アンダーが2回、10アンダーが1回。12アンダーには、優勝を争うプレーが必要になる。大きな見せ場が待っていた。

第1ラウンド。山下は6バーディ、ノーボギーで単独首位に立った。

第2ラウンドは5バーディ、3ボギー。珍しくボギーが多かったが、それでも2アンダーで、通算8アンダー(3打差2位タイ)まで伸ばした。

第3ラウンドは1イーグル、4バーディ、1ボギーの5アンダー。通算13アンダー(首位タイ)として、早くも アンダーをクリアした。

だがこれはシビレる状況だった。残り18ホールで許されるのは1オーバーまで。ボギーが先行すれば「これ以上は落とせない」という強烈なプレッシャーがかかるからだ。

さらには優勝もかかってきてた。勝てばシーズン5勝目。西郷に並ぶ最多勝となり、公式戦(メジャー)2勝。1年間の獲得賞金額の新記録も実現する。

最終ラウンド。恐れが現実になった。3番パー4でボギーが先行したのだ。

だが新記録を宣言する強さを持った山下は落ち着いていた。6、7番でバーディを連取。10、13番も獲って通算16アンダーまで伸ばしたのだ。15番はボギーにしたが通算15アンダーでホールアウト。平均ストローク60台を成し遂げたのである。

物語は続いた。5打差の6位タイからスタートした勝みなみが7アンダーを出し、山下に並んだのだ。山下にとってはシーズン最後で初めて経験するプレーオフとなった。

勝はパワフルで爆発力があり、上手さもある。8月には山下の連続ノーボギー記録を破る「87ホール連続ノーボギー」を達成していた。上手くて強い二人のプレーオフは見応えがあった。

難ホールの18番パー4がプレーオフの舞台。 ホール目に超ロングパットを沈めてバーディを奪った勝は、プレーオフでもバーディ逃がしの好プレーを見せた。

だが勝ったのは山下だった。2オンし、8メートルの下りのパットを沈めてバーディ。劇的に勝ったのだ。

たくさんの記録を作ったこの1年だった。特筆ものはまずこの2つだろう。

●平均ストローク69・9714

● ホールの最少スコア 60

さらにこんな記録も作っていた。

●年間トップ10入賞率 63・64パーセント(33試合中21試合)

これも凄い記録だ。ちなみにトップ10数の2位は吉田優利の19試合。出場37試合なので確率は51・35パーセント。山下とは10ポイント以上の差がある。

3つの記録は「60(台)」という数字が共通点。目立たなかった山下は、エリートたちを超える「ミス60s」に成長していったのである。

いかがでしたか? 山下プロの熱戦を今一度思い出してみましょう。

文=角田陽一

【あわせて読みたい】

「天使か」西村優菜、“かわいすぎる”ウェア姿を披露!ファンから称賛の声集まる

7番ウッドを選ぶ時の「4つのポイント」!最新15モデルを試打解説

「7番アイアンで200ヤードも飛ぶ」ってマジ!?“飛距離”に特化したアイアン4選

関連記事一覧