菅沼菜々のプロ6年目“ツアー初V”を深掘り!
ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。
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難病のアイドル。プロ6年目のツアー初V
19年にプロ合格22年はトップ10
98年度生まれの『黄金世代』と2000年度生まれの『プラチナ世代』。両者に挟まれた99年度生まれは『谷間の世代』と揶揄された。その代表選手は稲見萌寧。20―21年シーズンの活躍はすごかった。9勝して賞金女王の座につき、東京五輪では日本初のゴルフのメダリスト(銀)になった。その稲見と同じ99年度生まれに菅沼菜々がいる。菅沼は00年2月、東京都生まれ。学年も出生地も稲見と同じである。
ゴルフは5歳から始め、多くのアマのタイトルを獲得。そして18年のプロテストに合格した。同期合格者には稲見、大里桃子、原英莉花、三ヶ島かな、渋野日向子、高橋彩華がいる。なかなか華やかである。QTからツアーに出た翌19年は出場30試合の半分を超える16試合で予選落ちしたが、10位以内も2度記録(最高は5位タイ)した。賞金ランク62位でシード権を逃がし、QT65位でなんとか翌年の出場権をつなぎとめた。
その20― 21シーズンは36試合で予選落ちは6度に減少。逆に10位以内は5回に増え、賞金ランク47位で初のシード権を獲得した。22年はさらに伸びた。33試合で10位以内15回(ツアー5位)。シーズン獲得賞金は8619万円余りで賞金ランク9位。メルセデス・ランキング(年間ランク)も8位。日本トップ10人になったのである。特に5位以内は10回(2位2回、3位3回)。最終ラウンドの平均スコアはツアーでナンバーワン( 69・7762)になった。
上位の成績が増えるとテレビ中継での露出も増える。菅沼の存在もすぐに知られるようになった。そもそも個性的だった。愛らしい顔立ちに、みずから『前髪命系女子』という自慢の髪型。いつも微笑みをたたえていて、白い歯が光る。「プロゴルファーというより、ゴルフ好きのアドイルみたい」とファンからはいわれてきた。
じつは、菅沼自身もアイドルを意識していた。「ずっと笑顔で頑張っていて、みんなに夢を与えられるアイドルはすごい。わたしもゴルフの世界で、そういうアイドルのようになりたい」自称アイドル風ゴルファー、なのだ。アスリートだけど笑顔は絶やさない。ゴルフを見にきてくれる人に、楽しい印象を持ってもらいたい。そんな思いでプレーしてきたのである。
試合から試合へ自家用車で移動
原点は高校3年生だった。友達と行ったライブでアイドルから強いインパクトを受けた。そして「わたしもだれかに笑顔を届けたい」と思ったのだという。この思いが、中断していたゴルフの再開を決意させた。じつはこの前の年に、菅沼は5歳から続けていたゴルフをやめていたのだ。原因不明の怖さを感じて通学の電車に乗れなくなった。ここから無気力症候群に陥り、ゴルフクラブを握らなくなっていたのである。
この状態を脱することができたのが、前述のアイドルの力だった。ライブ直後にはゴルフを再開でき、電車にも乗れるようになった。そして高校卒業後はプロテストにも合格したのだが、その後に症状が再発した。診断は「広場恐怖症」。広いところが怖い、というのではない。『強い不安に襲われたときにすぐに逃げられない、または助けが得られそうにない状況や場所にいることに、恐怖や不安を抱く状態』(「MSDマニュアル家庭版」より引用)のことだ。
菅沼は電車やバス、飛行機などの公共交通機関が利用できなくなった。旅から旅のツアープロとしては翼をもがれたも同然だった。だが家族はめげなかった。試合会場への移動は基本的に自家用車を使用する。大きなワンボックスカーが専用車となった。メインの運転手は父親。遠隔地には母親が中継点まで新幹線などで移動。父親とのリレー運転も行ったという。「翼がないなら走ればいい」ということになったのだ。
それでも車の運転では海を渡れない沖縄と北海道は、欠場するしかなかった。車での移動はどれくらいの距離になるのか。23年の序盤4試合を例に、地点間の移動距離を地図アプリで調べてみた。自身初戦の『明治安田生命レディス』(高知県香南市)まで、東京からの道のりは800キロ前後。12の都府県を駆け抜ける。ここから次の『Tポイント×ENEOS 』の会場(鹿児島県姶良市)まではまた800キロ前後。
次の『アクサレディス』(宮崎県)までは150キロあまりだが、その次の『ヤマハレディース』(静岡県袋井市)までは1150キロの超長距離移動になる。調べるだけで気が遠くなりそうなロングランだ。菅沼の車の年間走行距離は5万キロ以上という。地球一周(ほぼ4万キロ)を上回っている。車の移動には大きな疲労が伴う。走行中は横たわれない(道交法規定)から、座った姿勢で車に揺られる。疲労回復のための熟睡は望み薄だ。道路事情も千差万別。
高速道路は景色が単調な山間や運転しにくいトンネルが多い。渋滞にもぶつかるし、悪天候、悪路もある。運転する親も、運転してもらう娘も大変である。また疲労の蓄積はゴルフの成績にも影響する。体の疲れはスイングを崩し、ケガを誘発する。心の疲れは集中力を弱め、リズム感も狂わせる。それでも菅沼は日本のトップ10まで成績を上げていった。そして菅沼が目指した「優勝」は、23年に達成された。
笑顔を絶やさず決めたバーティ
スタートは芳しくはなかった。最初の10試合で予選落ち3回。だが11戦目『ブリヂストンレディス』の3位タイで覚醒した。「スイング改造で内容がよくなっている。次へつながると思います」(菅沼)。その後は4位タイ、6位タイ、11位タイ2回と好成績を続けた。そうして迎えた20戦目が『NEC軽井沢72』(8月11〜13日)だった。
『NEC軽井沢72』は、夏休みに避暑地軽井沢で行われる華やかな大会である。3ラウンド54ホール制。第1ラウンドの菅沼は6バーディ、ノーボギーの66で2打差3位タイにつけた。2日前に左足小指を負傷。この日も痛みはあったが「スイングはできる」と出場した結果だった。出遅れやすい菅沼には最高のスタートになった。
「グリーンがよく読めていました。入りそうだな、という感覚のとおりに入ってくれました」(菅沼)とパットが冴えた。痛みが薄らいだ第2ラウンドは9バーディ、2ボギーの65。通算13アンダーまで伸ばして単独トップに躍り出た。2位(神谷そら、小祝さくら)には3打差をつけていた。第3ラウンドは最終日最終組。単独首位での最終ラウンドは初だった。緊張感を薄めようとしたのか、菅沼はこういった。
「これまで(の優勝争い)は気負いがあったと思います。今回は第1日から順位を気にせず、楽しもうと心がけてきました。優勝がすべてではありませんし、明日も同じように順位を気にせず楽しくやりたい」(菅沼) それでもシビレるのが最終ラウンドの優勝争い。菅沼は伸び悩んだ。アウトはバーディ1つだけ。インも2バーディ。ボギーはゼロながら3アンダー止まりだった。前日「3打差はあってないようなもの」(菅沼)といっていたとおり、3打差2位タイからスタートした神谷が66を出し、追いつかれた。
神谷は3歳年下。大柄なロングヒッターで昨年プロテストに合格したばかり。4月の『フジサンケイレディス』で初優勝していた。若く、勢いがあり、優勝経験もある。そんな神谷とのプレーオフになったのだ。プレーオフ1ホール目はともにボギー。2ホール目。神谷はパーオンを逃して長いパーパットを残した。菅沼は2打目のPWのショットをピン奥1メートル半に乗せた。バーディチャンスだ。「勝負あり」と思えた。
だが神谷は長いパーパットを沈めた。菅沼が勝つには入れるしかなくなった1メートル半。それをしっかり打って真ん中から沈めた。プロ6年目、ツアー5シーズン目につかんだ初優勝が決まった瞬間だった。両手を大きく広げて喜びのポーズを見せた菅沼は、直後に右手に持ったボールをそっとポケットにしまった。最終日。菅沼はもどかしいラウンドの中で、常に笑顔を絶やさなかった。
「ギャラリーの前でアイドルになり切った気持ちでやりました」と思っていたからだった。笑顔のゴルフアイドルを『演じていた』のだ。不運なこと、情けないことが起きれば腹が立ってくる。それを表情や言葉に出すと気持ちが波立ってさらにスコアを崩すのがゴルフである。演技でも笑顔になれば、怒りは収まり、気持ちの乱れも抑えられる。そういう効果がある。そのことも初優勝には役立ったのかもしれない。この演じ方は、プロ入り直後からのある思いからも、つながってきたものだった。プロ3年目の20年。
菅沼は「広場恐怖症」を公表した。この難病について、より多くの人に知ってほしい。そして自分の活躍が同じ病気の人の励みになるように頑張りたい。以来、そんな思いを持って戦い続けてきたのである。このことは、なんとしても勝ちたいという気持ちにもつながってきただろう。ゴルフは技術面に傾注しやすい。できなかったことを猛練習ができるようにしてくれた。その体験が技術至上主義につながる。ある意味、自然なことである。
だが、54ホール、72ホールという長い戦いで、トップ集団の何人かの1打の優劣を決めるのは、技術以外の何かであることがとても多い。形のないものの比重が大きいのだ。例えば信念。これは多少のミスや不運が起きても、ギブアップしないで自分を信じ続ける気持ちである。そして、その気持ちを保つには、失敗を恐れない勇気も必要になる。さらに、そういう姿勢を支えるものには「だれかのために」という、自分の利害を超えた思考が役立つものである。ちなみにアイドルは英語でその意味は「偶像。 崇拝される人や物」。
この英語のおおもとはギリシャ語のエイドーロンで「実体のない形」を意味する、と大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)のウェブ版コラム(山楽河北新報社)には説明されている。「アイドル」は、菅沼のゴルフにピッタリな言葉だったのである。
いかがでしたか? 菅沼選手のこれからの活躍に注目してみてください!
文=角田陽一
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