「彼女と出会わなかったら…」池村寛世、“恋人キャディ”との初優勝について語る

ツアーで活躍しているプロたちは誰もが自分のゴルフを「よりよいもの」にしていくために様々なことを考え、走り続けている。この連載では、プロたちの苦悩や喜びなど、普段見えない部分を探っていきます。

今回は池村寛世プロにインタビュー。20-21年シーズンについて、好調への転機や、今後の展望について語ってもらいました。

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シーズン前半は不調だったが……

――20-21年シーズンを振り返ってどうですか?

池村:21年は目標としていた1勝ができ、満足のいく年でした。ずっと優勝を目標にしていたし、周りの先輩たちが優勝していくにつれて、自分も優勝したいという気持ちが強くなっていました。

―― 初優勝できた1番の要因はなんだと思いますか?

池村:パッティングがよかったと思います。決めないと流れが変わりそうなときやティーショットをミスしたホールでも、しっかりとパーを獲れた。優勝したときは彼女(坂口琴音さん)がキャディをしてくれたんですが、それもよかったです。いつもの自分だったら、ほかの選手がバーディを獲って差が縮まってくるんじゃないかと思い、緊張していたでしょうが、ミスしたあとも声をかけてくれた。彼女のおかげで緊張せずに、平常心でゴルフができていたと思います。

―― 優勝する予感はあった?

池村:最終日は5打差を追いかける位置でしたが、ビッグスコアが狙えるコースだったので、前半ちょっとでも差を縮められたらチャンスはあると思っていました。それでも自分が完璧なゴルフをしないと、勝てないと考えていましたね。

―― 5打差を巻き返したのはすごいですね。

池村:今までそんなことはなかったので、これから試合をしていくうえでも「差があっても諦めちゃいけない」と思えるようになりました。

―― 2位の香妻選手と稲森選手も同じ鹿児島出身ですよね?

池村:そうねですね、ふたりとも小学生時代から知っています。鹿児島県出身のゴルファーってみんな優勝していて、僕だけが取り残されているという感覚がありました。なので、やっと追いつけたなという感じです。

―― 21年は全体的に調子がよかったのですか?

池村:今年は開幕前にエースドライバーのヘッドが割れてしまい、アイアンやアプローチ、パターの練習がまったくできませんでした。そのせいで8月くらいまでは不調でしたね。そのあとからちょっとずつ新しいドライバーも調整できるようになってきて、ショートゲームを練習する時間が増えて、結果的にどんどんよくなっていきました。

―― 調子がよくなってきたと感じた試合は?

池村:8月のセガサミーカップですね。それまでは本当に不調で、動画を撮ってよかったときと悪かったときのスイングを見比べてみたりしていました。その苦しい時間が本当に長かった。セガサミーカップは彼女がキャディをしてくれて、2か月ぶりくらいに予選を通過しました。自分が納得いく予選通過の仕方だったので、やっとまともなゴルフができるようになったと思ったし、彼女もすごく喜んでくれて自分も気持ちが楽になり、後半戦に向けて楽しくゴルフができるようになりました。

―― その試合が好調の転機となったのですね。

池村:まあ、予選もギリギリ通過できたという感じだったので周りにはわからないとは思うのですが、2日目はノーボギーで回れて、僕のなかではすごくうれしいラウンドでした。

―― この試合はのちに優勝にもつながった?

池村:その試合でやっとドライバーも安心して打てるようになったし、ショートゲームもよかった。21年はプロになってから1番練習したんじゃないかってくらい練習しましたね。ラウンドが終わってからも日没までずっと球を打っていた。たくさん練習したことが、自信にもつながったと思います。石川遼さんとかは長い時間練習をする選手ですが、練習しているからこそ周りとは違った自信をもっているんだな、と自分がたくさん練習をしたことで気づけました。

22年はメジャー大会で優勝したい!

―― 長く練習する秘けつを教えてください。

池村:僕の場合、彼女ですかね(笑)。僕はそれまで海外志向はあまりなかったのですが、彼女が海外に行きたいっていったことで海外も視野に入れるようになった。

―― 理想とするゴルファー像はありますか?

池村:最近になってすごく思うのは、3日間大会なら、2日目が終わった後に順位はどうであれ、「この選手は最終日ちょっと怖いな」と言われる選手になりたいです。そうなると遅くても30歳までには行きたい。それだとあまり時間がないなって。それから時間も練習に対する意識も少しずつ変わってきましたね。

―― 彼女の存在が本当に大きいんですね。

池村:彼女と出会わなかったら、今の自分はいないと思います。

―― 彼女のどういう部分に惹かれたのですか?

池村:僕とは違ってポジティブ。あまりネガティブになることがないんですよね。なので、試合中も自分のプレースタイルとはまったく真逆のことをいってくれたりして、僕を引っ張ってくれます。

―― 池村選手はネガティブ思考のタイプ?

池村:ミスすると、どんどん落ち込んでしまうタイプでした。でも今は彼女がすごく声をかけてくれて、ミスをしても「次! 次!」という感じ。落ち込む暇を与えてくれません(笑)。

―― それは心強いですね。

池村:気を使わないですし、何より彼女のおかげで本当にゴルフを楽しんでできるのが大きいと思います。

―― 今後どのようなゴルファーになりたいですか?

池村:シードを取り続けて「ゴルフで食べていく」というのが目標です。ほかには、今の子供たちがプロゴルファーになりたいと思うきっかけになれる選手になりたいですね。

―― 池村選手のあこがれだった選手は誰ですか?

池村:僕は小さいころ横峯さくらさんのお父さんの「さくらゴルフアカデミー」に入っていて、横峯さくらさんが練習する姿を間近で見ていてあこがれましたね。あと、中学2年くらいに、宮崎出身の男子プロ、津曲泰弦さんを見て「ドライバーがすごく飛ぶ! こんな球を打たないとシードを取れないんだ」と思いましたが、それを見て初めてプロになりたいという気持ちが強くなりましたね。

―― では22年シーズンの目標を教えてください!

池村:1勝することができて、自分も勝てるんだと実感できました。21年の最終戦のメジャーでは勝てるチャンスがありながら勝てなかったので、22年はメジャーで勝ちたいです!

―― そのためにオフの期間はどのように過ごしますか?

池村:やっぱり体力づくりは必要だな、というのは実感しました。体をもう少し絞ってショット力を上げないと、年間で2、3勝する選手にはなれないんだなと思っています。今は体づくり中心ですが、2月ぐらいにはミニツアーがあるので、そこで調整していけたらなと思います。

池村寛世

●いけむら・ともよ/1995年生まれ、鹿児島県出身。166cm、72kg。21年はANAオープンゴルフトーナメントで5位タイ。ISPS HANDA ガツーンと飛ばせ ツアートーナメントでツアー初優勝を果たす。最終戦のゴルフ日本シリーズJTカップでは4位タイに入り、賞金ランキング22位でシーズンを終えた。ディライトワークス所属。
Instagram:ikemuratomoyo_official

写真=ゲーリー小林

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